手をつないで、踊り明かそう

ポルカダイアリー

涼やかな木漏れ日

行くところがない。

 

今日は2回もお散歩に出た。

着替えさせて靴下を履かせて8.6kgを抱っこして階段を降りて、ベビーカーに乗せてベルトを締めて微調整して。

 

この道は今朝も行った。

あの公園は昨日も行った。

 

窓から外を眺めていると集まって立ち話をしている人たちがいる。

だけど、わたしが外に出ると誰にも行き合わない。

 

かわいい赤ちゃんだね、何ヶ月?

そんな行きずりの会話、してみたい。

 

会話に飢えている。

 

夫は帰ってきたらすぐ子どもとお風呂場に行ってもらわないと寝かしつけに間に合わない。

子どもが眠くてぐずるので、2人でゆっくり話をする時間的な余裕がない。

寝かしつけを終えると哺乳瓶を洗って消毒し、洗濯物を干して、夫は翌日の激務に備えてすぐに寝る。

 

大人と話してない。

雑談で潤いたい。

明日は子どもの予防接種があるから、人と話せるなって楽しみにしているほど。

 

麦わら帽子が欲しい。

毎日毎日外に行くんだから、お気に入りの装いくらいないとやってられない。

父は孫のために帽子は買ってくれたが、わたしに帽子をくれる人はいない。

 

せめてもと、一昨年のサンダルを出してきた。

去年はかかとの高いこの靴は履けなかった。

いや違う。このサンダルは3年前のだ。だって2020年は外に出なかったから何も買ってない。

久しぶりに地から離れる感覚は悪くはなかった。

 

そして、昨日も来た公園に向かう。

道端に座れるところはない。だからといって立ち尽くす訳にもいかない。庭があればいいのになと思う。

 

ベンチに腰掛けたいところだが、あいにく西日があたっている。

木が多くあるゾーンは涼やかだ。

緑の芝生に思い切って腰掛けた。その後で、思い付いてエコバッグを広げて敷いた。

 

横断歩道を渡る前、居酒屋さんの前に座ってる人がいた。

話し掛けたかったけど挨拶程度にとどめていたら、何ヶ月?って訊いてもらえた。5ヶ月、と答えると大きいね、可愛いねって。

そういう会話がしたかったんだ。

夢みたいで嬉しくて、芝生に座って木の匂いを嗅ぎながらゆったりと時間を過ごしていた。

 

帰り道には、犬の散歩の人もいた。

陽が斜めになってきたのでシェードを開けておけたので、赤ちゃんの顔をたまに行き交う人に見てもらうこともできた。

 

家の前でお向かいさんが庭仕事をしていて、挨拶をしたらなんとここでも会話をしてくれた。

マスクの下、ニヤニヤしながらお話した。

世の中には、赤ちゃんに「女の子?」と訊ねると角が立たないライフハックがあると気付いた。

「時々声が聞こえるから」という言葉に、身体が大きくて声も大きくて響くから申し訳なくて、と謝った。

子どものしていることでわたしが謝る、親になったってこういうことなんだな、と思った。

「みんなそうやって大きくなってきたんだよ」と、気にしないよう言ってもらった。

涙が出そうになるくらいうれしかった。

 

たぶん、声が大きくて困っているのはわたしの方で、子どもの泣き声につかれているのもおそらく世界一わたしで、もしかしてご近所さんがゆるしてもゆるせてないのはわたし。

わたしができないことを誰かが言ってくれてることで、世界が我が子にやさしくしてくれていると感じて、わたしとは違う別の人間だと感じたような気持ちになった。

 

わたしが子どもを動かしたり、その逆で黙らせたりすることはできない。口をふさぐわけにはいかないし、そんなことはしたくもないから。

でも、それでいいんだよ、と。受け入れてくれてるこの世界にこの子が生きていてよかったと思った。

わたしが、きいきい声に頭おかしくなりそうでもこの子と世界が仲良しならそれでいい。

わたしができることはこれまで通り、そっと窓を閉めたり、散歩に連れ出したり、そして住人の方々にご挨拶してニコニコすることだけだなと思う。

 

非力だけど、君と世界をつなぐよ。

わたしを介さなくてもあなたはすでにこの世界で生きている。

 

いい出会いだった。

外に出てよかった。

神様、1日のつじつま合わせをありがとう。