手をつないで、踊り明かそう

ポルカダイアリー

受け流す、受け止めない

3年ぶりに「産後」になった。この夏めでたく第2子を出産し、現在は絶賛産褥期である。

ものの見事に産後脳になり、書き留めておこうと考えたトピックも綺麗さっぱり忘れてしまった。ああ、そうだ、こんな感じだった。細切れ睡眠の中で続く日々に、全てがフロウしていくのだった。

 

ホルモンの関係で通常より傷つきやすく激高しやすい。それでも人間関係を壊したくない。心を病ませたくない。だから今はただ受け止めない、受け流すと決めて、深く物事を考えない。

深夜早朝などは気持ちが落ちやすいので、特に。お世話中、暗い方向に気持ちが進んでいきそうになったら、意識的に気を逸らす。そうして「考えないわたし」になる。

昔から思考を深く潜らせるのが習い性だったから、まるで自分が自分じゃないみたいで正直いやだ。

ただ、今は身を守る。それが、母親になり他に守るものがある自分が今すべき生き方なのだと思う。落ち込んでる場合じゃないのだ、とにかく。自分以外のヒトを育てるなら、まず自分を健やかに保っていなくてはならない。

 

これから数年間の日々の中で、多くのことを取り落としていくだろう。良いことも悪いことも脳に刻み付けるまでに至らず、後から振り返っても手の中に残る思い出はわずかだろう。

睡眠不足が蝕む、他人軸の生活。それでもわたしはここに戻ってきた。

2人目、新生児。また一からのスタートだけど、今度のわたしには3年前のわたしがついてる。

大丈夫。いつのまにかきっと子は育ち、夜明けまで枕に頭をつけて眠れる夜は来るから。

トンネルの先に光があると知っている。2児の母は迷わず歩き始めた。

別れも愛のひとつだと

3歳息子がこの春からめでたく「園児」になった。

おめでとう案件ではあるが、受験して合格した訳でもあるまいし実家を出る訳でもない。これまでも母子分離の経験は積んでいたので、さほど大きく生活が変わる訳ではない。

なのに、これほどまでに「節目」を感じるとは。ちょっと想像以上だった。

親の手を離れていく感覚。彼の属する社会があり、そこに踏み出していく背中。

いつのまにか、一人の人間としてこの世を生きていたんだな。「ママ」と泣くのは子の方でも、離れなくちゃならないのは親の方なんだな。

子離れ。この先もいくつか段階があるうちのその最初のステップに、親としてようやく足を掛けたのだ。

 

しかし実際問題として、登園渋りは目下の大きな課題だ。

まず「園が毎日行くところだと理解しているのか?」「指定の服装を着せて時間通りに出席できるのか?」という懸念からスタートした入園式を経て、登園開始から最初の数日は驚くほど順調だった。

制服を着る喜びも、真新しいカバンを背負う嬉しさも滲ませて、意気揚々と玄関を飛び出す彼について意外に感じたほどだ。思っていたより、彼は理解していたし、受け入れていた。

ところが、園について教室に入る段になると泣き出した。その次の日は門をくぐったら。その翌日は敷地に入る前。その後も、送迎中、家を出る前、朝食時と日に日にぐずるタイミングは早まっていった。

そして昨夜、ついに「あしたいかない」宣言。あまりに早い前夜からの登園渋りである。新生活に伴う大きな不安が、家に居ても、お布団の中にママと居ても拭えないのだと知って胸が詰まった。

「行かなくていいよ」とはとても言えない。「大丈夫だよ」根拠のない慰めを口にするしかできない。きっといつか大丈夫になるのだとしても、彼は「いま」不安なのに。

絶対的な味方でありたい。しかし、喜び効果の切れた呪いの制服を着せ、安らぎの家の鍵を閉め、行きたくない場所に送り届け、泣こうがごねようが先生に無理やり引き渡すのは他でもない自分なのだ。そんなわたしが彼にどんな安心を伝えられるというのだろうか。

これまでの日々の中、母は生き抜く力を授けることができていただろうか。

離れている間、ひとりで戦う彼の力を信じて、ただ祈ることしかできない。

 

とはいえ、できることはなんでもやる。彼の気持ちが整うように、あれこれ手を尽くす。

「あと何回行ったらお休みだよ」と先の予定を分かりやすくするためのスケジュールボード。「美味しそうだね」と給食のメニューの事前予告。「帰ってきたら何食べよう、何しよう」の約束。楽しい登園のためにジャングルクルーズさながら掛け声で盛り上げて、好きな音楽を流す。

すっかり乗り物大好きの息子が今一番ハマっている曲は、ゴダイゴの『銀河鉄道999』である。胸躍るイントロ、宇宙を駆け抜けるようなスケール感、走行音を思わせるアレンジがわたしも大好きで、家を出て園に着くまでのテンション上げに利用させてもらっている。

ところがこの曲、このシチュエーションに妙にフィットしすぎていることに気付く。

『銀河鉄道999』は「別れ」と「旅立ち」の歌なのだった。

励ますように高らかに「さあ行くんだ~♪ その顔を上~げて~♪」と歌うと、わたしの脳裏に浮かぶ"その顔"は息子の顔になる。

「あの人の目がうなずいていたよ~♪ 別れも愛のひとつだと~♪」と歌うと、見守る”あの人”は自分になる。

先生に手を引かれ教室に入っていく姿を見送り、再び「さあ行くんだ~…その顔を上げて~…」と一人口ずさむと、今度は、うつむいている"その顔"は自分だ。

気分を上げたかっただけなのに。涙が出てくる。もちろん本人には気付かれないようにするが、母は感傷的になってしまう。

ああ、涙に濡れるこの春の光景を、今後も何度も思い返すのだろう。そしてその思い出には『銀河鉄道999』がBGMとしてついて離れないものとなったのだと。

 

今朝、息子は出発前に約束していた絵本を1冊読み切ったあと、床にうずくまった。「いきたくない」のだ。全身から伝わる絶望に、思わずわたしは「おいで」と彼を引き寄せ「充電だよ」と背中をさすった。

「大丈夫、大丈夫。あなたのここにママがいるからね、いっぱい送り込んだからね。さみしくなっても大丈夫。○○くんの中に、ママがいるから。だから、大丈夫」

精一杯、それが本当になるといいなとの願いを込めて伝え続けた。あたたかさを彼がいつも感じていられるように、母の愛が自分を守ってくれると信じられるように。

すると突然、息子は立ち上がった。試すように、すがるように、そんな目でもうママを見ていなかった。自分で「いく」を決めた顔だった。

登園して、上履きに履き替え「いってらっしゃい」に「はーい」と答える彼の目に涙は無かった。

真の意味で、送り出せたのだと思った。

買えなかった春の皿

お皿を割ってしまった。

3月に買った、その後5月にも買い足した、お気に入りのミモザのプレート。

あまりにも不注意で、もちろんわたしが悪いのだけどしっかりへこんだ。

すぐに検索した。公式サイトによると、既にセール品となっていたがネット販売は売り切れ。扱っている店舗はかなり減っているが、店によっては在庫があるらしい。

思い当たる友人の動きがあり、近くを通るなら買ってもらえないかと連絡すると、確かに今日その店の近くを通ったけれどもう家に帰ってきてしまったとのこと。

いったん諦めた、それが日曜の午後のこと。

 

夜は寝かしつけで寝落ち、深夜に目覚めてスマホを握りそわそわ。

「在庫あり」を示す数店舗の中に、自分でも買いに行ける店舗がある。

電話して取り置きしてもらいたい。何日くらい置いてもらえるんだろう。自分一人で行くならいつ行ける?子どもも連れて行く?食器を置いてる雑貨屋に?うーん、大変。

でも、駅ビルなのでついでに駅に電車を見に行ける。新幹線も見せてあげられる。息子は電車が好きだ。せっかくだから新幹線を見る機会にもしてあげたい。

子どもを連れて人の多いところに出掛けるのは覚悟が要るし気後れする。とはいえお皿1枚のためだけに一人で運転して行って帰ってくるのもなぁ。せっかくの大きな駅なのに。

駐車場、駐車料金、お昼ご飯のことなど調べつつも結論出ないまま就寝。

 

月曜の朝、案の定寝坊。今から出掛けて行って戻ってくる頃にはお昼を回ってしまう。うーん…。

かといって他にすることもない。台風はまだ来ないらしい。公式サイトは「在庫あり」を示しているが、いつ「残り僅か」になったり販売終了になったりするか分からない。

とんぼ返りにはなるけど、急いで行って帰ってお昼は家で食べることにしたら大変さも少しはましになる。

 

…よし、行くか。

 

遅い朝食を食べている子に「出掛けようか」。口に出すとその気になれた。「でかけよう!」と明るい声が返ってきて、ますますスイッチが入った。

慌てて準備、荷物を詰めて勢いのままに出発。

 

道中は順調、駐車場も調べていたところに停められた。そこから駅までは少し距離があるけれど、子も手をつないで半分くらいは歩いてくれた。「えきのなかだ」と喜んでくれた。

目当ての店に着く。

 

店内をざっと一巡したのち、店員さんに訊ねてみる。

「ミモザのプレートを探してるんですが」

お待ちください、と裏に消えた時点でなんだか嫌な予感がした。

戻ってきた店員さんは「そちらはただいま欠品しております」。

そうなんですか、と返すほかなかった。

「あの、昨日まではサイトで『在庫あり』になってて」

「念のため商品番号をお見せいただけますか?」と問われ、タブで開いていた商品ページを開く。更新すると『この商品は現在お取り扱いしておりません』。

「あれっ?」「あの、さっきまでは」「え、これってつまり、昨日までだったってことですかね」「ページでない」

慌てるわたし、店員さんからは現在欠品それ以上に出せる情報はない。

ここはわたしが終わらせるところだ。

そういうことですよね、ありがとうございましたと店を出た。

 

想像以上にがっくり来た。在庫表示とのズレによる売り切れは想定内だったし、春商品だったから販売期間が終わるのではないかという予想もついていたけど(だからこそ9月になってしまう来週まで待たずできるだけ急いで来たのだ)、まさか昨日の今日で区切られているとは思わなかった。

お皿を割ったのがもっと早ければ。いやお皿割らなければ。割れちゃうことも想定して多めに買ってたんだけど、こんな早く減っちゃうなんてそれは早すぎるよ。やっぱり買い足したかったなぁ。一瞬で暗い気持ちになる。

そしてハッと子どもの存在に引き戻された。子は、店員さんとのやりとりの間も、落ち込みから声が出ない間も、じっと黙って待っていてくれたのだった。

 

ああ、なんていい子なんだ。

お皿は割れたし、買いに来て買えなかったけど、わたしにはこの子がいるしこの子と過ごす今日がある。

心配してたほど、遠出も駅ビルでのお買い物も何も困ることはない。こんなに大人になったきみのおかげで。

 

「お買い物終わったよ。探してたの無かったんだ。待っててくれてありがとうね。さぁ、電車見に行こう。電車と新幹線どっちがいい?」

「でんしゃー!」

 

お皿を買った分で無料にするはずだった駐車券は、パン屋でお昼ご飯のパンを買って帰った。1,000円以上で1時間のところ、1,009円のお会計だった。やった。

今日は、お皿を買えなかった日。だけど新幹線と電車を見に行った日。

そして、パンを買って帰った日。きみがまた一つ大きくなった日だ。

健やかに伸びる杭であれ

誰の言うことも意に介さず、全体の流れなど汲まず、調和よりも自由を重んじて。

君は立ち歩き、歌い喋り、にこにこと楽しそうだ。

まるで自分が世界の中心に居るみたいやね、とおかしくなった。事実、きっとそうなのだ。

この子の世界には今この子だけが大きく存在していて、そこに親しい家族が大切に添えられていて。

秩序は外に無い。だから「誰かに従わない」のではなく、彼こそがルールなのだ。

その奔放さを、嗚呼、愛しいと思った。

 

世界に合わせることを学んでほしい。

規律に従い、号令に沿って、やるべきことをやり、今やるべきでないことはやらない。

だけれど、本当の願いはそんなことじゃなくて。

苦しんでほしくないのだ。

叱られてほしくない、問題児だとみなされてほしくない、不自由さに悩み心身に支障をきたしてほしくない。健やかで、幸せでいてほしいのだ。

あなたらしさが世界の敵にならないよう、殻を身に着けてほしいと。

とはいえ、それは先回りしすぎた過保護ではなかっただろうか。

 

もう既に出ている杭ならば、伸び続けて行けば良いだけだ。

誰にも打たれないくらいに何処までも。

 

あなたはいい子。その自由さはかけがえのない個性。

持って生まれたその魂は、他の誰にも得難いあなただけのもの。

 

いつか、何処かの誰かと折り合わない日が来るとしても。自分で必要を覚えるその日までは、親だってただ奔放さに魅了されていても良いのかもしれない。

心配は愛情じゃない。あなたを守るシェルターでありたいけれど、覆い隠し成長を止めたいわけじゃない。

どんなあなたでも浴びる光が優しいものであるように、世界の方を整える大人であろう。

 

今の君は最高だ。素敵な君こそが願いだ。

アパート退去と鍵返却

鍵が見つかった!

 

退去についてあれこれ調べていると、返却する鍵は2色あるという。今現在、所在が明らかになっている鍵は普段使いの鍵が2本だけで、その鍵と同色のものも足りない。

そもそも、入居の時にそんな鍵もらったっけ?記憶に無いし、2本しかもらってないんじゃないの~?

何処かに貸与本数が記載されてはいないかと契約書を引っ張り出してきたり、紛失の場合の料金を調べたり、原状回復についてのガイドラインを検索したりなどした。

 

夕飯前にそのことが分かり、気にしないようにしても、もう気が気じゃなかった。

わたしは心配なことがあると頭がそれについていっぱいになってしまうたちで、イライラするし不安になるし焦るし、とにかく状態が良くなくなる。

お風呂上がり、今日まさに梱包したばかりの書類群を引っ張り出しまくる。何処かに鍵が紛れてはいないか。受け取った封筒のまま入っていたりしないか。

そして、よし、とにかくここには無いようだ、と確認。それなら明日以降この部屋の何処かで見つかるか、見つからないようなら退去時にいさぎよくお金を払おう。最近新しく入居した他の部屋は順にカードキーに変更しているし、うまくいけば鍵を紛失したとて料金は請求されないかもしれない。

と、心を決めたその時、子どもと一緒に寝室に行っていた夫が出てきて「鍵あった」という。

 

え?

 

聞けば、ごちゃごちゃと様々なものが置いてあり、なかなか片付けに着手できないでいるそのゾーンに置いてあったという。

「そんなあっさり、見たらあったの?剝き出しで?」

そうだという答えに思わず笑った。なんでそんなところにあるんだよ。あっけないにも程がある。

 

引っ越してきて約8年ほどが経つが、ずっと束のまま無造作に放置されていた鍵。

よくぞ無事だったものだ。それでも、必要としている時に出てきてくれたのだから何も問題はない。

そもそも大事な鍵入れに入れていなかったことについてあれこれ思うことはあるが、結果良ければ全て良しだ。

不安な気持ちを持ち越さずにその日を終えられて良かった。本当に良かった。

 

 

今日は、メルカリで出品していた電化製品も売れた。

新居に必要が無いので、不用品回収で有料引き取りしてしまう前に駄目元で出してみたら意外と人気があったのだ。

3年使って、購入金額の半額以上を回収できるのはなかなか嬉しい。

引っ越し10日前に出品し、数日経って値下げせずに落札してもらえ、ギリギリまで使った上で手放せるのも嬉しい。タイミングが合ってラッキーだった。価格設定と出品タイミングの読みがあたったことに満足している。

部品の一つが手で取れないところに落ちてしまっていて長らく放っておいたが、合わせて送りたいので夫にとってもらうよう頼んだらこれまたうまくとってくれた。

ベランダに打ち捨てていた朝顔用の支柱と、まさかのハンガーで。わたしの中にはなかった作戦だったので、鮮やかで感激した。

自分じゃない力を夫に見るととてもワクワクする。なんか、ざっくりだけど、こういう瞬間が夫婦でいる醍醐味の一つなような気がする。

 

 

仕上げに、以前、どうしても見つからず再発行した銀行通帳も出てきた。

これはもう手数料を払ってしまっているので見つかって悔しい気持ちも若干あるが、それでも「あれ結局出てこないままだったな」というモヤモヤが消えたのはほっとした。

 

この部屋最後の日々だが、なかなかちょっと片付けが面白くなってきた。

引っ越しはとにかく面倒。なんでやっているかというと「もう後戻りができないから」という後ろ向きな答えが最大の理由だけど、それでも少しずつ前に進んでいるよ。

その先に、目指せ新天地。

子の成長はつるを伸ばす朝顔が如く

Eテレでやっていた、恐竜が出てくるドラマを消す時に「恐竜さんだね、がおー」と話しかけたら、じっとわたしの目を見て「がおー」と言ってくれた。嬉しいやら可愛いやらなんだかほっとするやらで朝から泣いちゃった。

 

家人のキャッシュカードを代わりに持っていくだけで良いと事前に伝えられていたので車を走らせてわざわざ向かったが、手続きに暗証番号も必要だった。全くの無駄足。その数分間の間でさえもまたしても子はじっとしていられなくて、仕事中の大人たちをたくさん苦笑いさせてしまう。また行かねばならない。もう件の市役所がトラウマになりそう。

 

折角なのでそのまま足を伸ばして近くの児童館に行き、自由に動き回れなくて不満げな坊やを放ちつつ、施設についての情報収集や利用登録などしようとしたが、駐車場で知り合いに会い「児童館、今入れないみたい」と聞く。なにごと。人が多すぎるかららしい。そういえば夏休みに入ったのか。これは緊急事態だ…。

近くのフォトスポットで軽く写真だけ撮って帰ろうと思うと言っていて、こちらもそうすることにして、お互いの家族写真を撮り合った。ママと子どもの写真は少ないのでとても嬉しい。気を利かせて、ポーズの合間にも何枚も撮ってくれているのが本当に本当に嬉しい。

この人はよく別の遊び場で一緒になるママさんで、時々話す顔見知りくらいの知り合い。うちの子の名前がうろ覚えだったらしく、確認してくれた。間違っていて、謝られた。名前を呼ばなくても邂逅は成り立つのに間違えてまでも確認してくれたのがお人柄だなと感じて、むしろ喜ばしかった。

 

100均に寄っておもちゃを買い足した。梅雨は抜けたが夏の暑い日は外遊びの時間が減るのでいつ何時もストックを切らすべからず。車のおもちゃを買い与えた。気に入ったものを手に持ったままレジ通してもらった。

男の子だから乗り物のおもちゃを、という決め付けはしないことにしていたけど、最近興味が出てきたものだから仕方ない。ついにこの時期が来たか。歓迎すべき発達なのか?

プルバック式の車はお祝いにもらって1つ持っていたが、自分で持って走らせることができるタイプのおもちゃもそろそろ要るなと感じていた。絵本やパズルの車をぶーぶーと言いながら楽しそうに動かしている最近の様子を見ていたら。

この車のおもちゃを手に入れたことにより今日の残りはなんとかなった。何より気に入っているのは見て嬉しい。目の前でタグをちぎったら、それこの車の部品ちゃうの、壊したん、という目で見られて申し訳なかった。

 

はじめてずかんのタッチペンの使い方を急に会得した。今まで楽器的にしか使えてなかったけど、唐突に。まず、親の指を持っていって指差しさせてきたので、それタッチペンでやってみなというつもりで渡したら急に理解したようで、1つ1つをタッチしては名称を聞いて楽しんでいた。特に「かぼちゃ」が何故か面白いようで笑っていた。物の1つ1つに名前があり、それを自分の操作で選んで聞けるのだ、という理解の近くまで来たように思った。こないだまで音が出るスピーカー部分に興味津々で、図鑑側との連動にはあまり興味を示さなかったのに。成長ってすごい。急すぎて両親で驚いた。

 

まもなく1歳7ヶ月を迎える息子は、最近よく寝るようになった。母のマットレスに登って寝付くことを覚えて、運が良ければ朝までそのまま夜通し寝る。たまに夜泣きをして、そういう時は抱くことも水分をとらせることも拒否してまるでその様は烈火の如くだが、授乳だっておしゃぶりだってエンドレスゆらゆらだってしなくても寝るようになるんだな、人は1年半もすると。

言葉も笑顔もコミュニケーションも増えてきて、毎日健康で可愛くて、これ以上望むことはない。幸せすぎてこの夏も相変わらず人生最高です。

並んで歩く雨上がり

お手々をつないで、お散歩できた。

時間にして10分少しだろうか。

家を出て、大きい通りまで出て、ちゃんと歩道を歩いて。まるで危ないことはなかった。前後から車が来たら手を引いて避けられたし、多少水たまりに入っても手を引けばすっと離れられた。奇跡みたいな時間だった。

 

いつものお散歩の時間に、今日は雷雨だった。

夕方、普段は「まだ暑いよ」と宥めてはなんとか17時を越してからお外に出るというのをやっているけど、今日は言うまでもなくお散歩できなかった。

不服そうに家で遊ぶ息子。すると、17時過ぎに雨は止んだ。青空が見えてきた。そして比較的、涼しい。

今からお散歩に行くよ!と興奮して玄関まで出た。

 

思いがけず、子が手に取ったのは、傘だった。

いつものように三輪車に乗せようとしていたが、その可愛らしいスガタヲミテ迷った。そして、もう片方の手を差し出された瞬間、よし、歩いて行くか!と言っていた。

午前は買い物に行って大人しくカートに乗っていてくれた借りもある。久しぶりに、好きに歩こう。

雨や暑さに振り回されて鬱屈していたのはわたしもだったのかもしれない。 

 

歩き始めて少しして、ヒップシートを装着し忘れてきたことに気付いた。

公園など、歩く時には必須である。三輪車の時でさえ、展開に用心して装着することすらある。

調子よく、傘をカタンカタン鳴らしながら歩く息子。雨上がりの空。湿気を含んだ温くも心地良い風。

ま、いっか。と、そのまま子の手を握り歩き続けた。

 

意外や意外、すぐにヒップシートの出番は来なかったし、何処かに駆け出していってしまうこともなかった。

危なげなく道を曲がり、嘘みたいに歩道を歩いた。

その奇跡みたいな10分間、わたしはひたすら幸福を噛み締めていた。

嗚呼、子どもを持つって、こういうことだ。

手をつないで歩いてくれる。小さくて大きな手のぬくもりを、後生大事に生きていこう。

あたたかさを、幸せを、心で抱きしめていた。

 

そして、コンビニの前まで来ると、横断歩道の無い車道を渡ってあっちに行きたいと主張を始めたので、手はつなぐものではなく引っ張り返すリードになった。

絶対に曲げられない意志VSそれだけは許可できない理性。結局、攻防戦の末、抱えてその場を離れることになった。

家へ向かう方角を彼はよく知っている。こっちへは行かないぞ、断固として行かないぞ、という強い抵抗。抱っこからも腕を突っ張り脚を突っ張り逃走する。感心するがこちらも家に連れ帰らねばならない。

ヒップシート、やっぱり必要だった。でも、なんとかなった。

後半は、三輪車導入前と同じく激しい攻防戦となったがそれもまたきっといつかは懐かしさとなるでしょう。

あなたと同じくらい、実はそれ以上に、母も夕方のお散歩は幸せな時間なんだよ。