手をつないで、踊り明かそう

ポルカダイアリー

ねむれよいこよ

子は、生後9ヶ月を迎えた。

ここ最近でできるようになったことといえば、

 ・つかまり立ち(つかまらなくても壁などを押す力で立ち上がれる)

 ・つたい歩き(パパが背後をとられてビビってた)

 ・ハイハイ(スマホを見つけた時の速度は尋常じゃない)

 ・つかみ食べ(ゆでにんじん、器用に左右持ち替えたり押し出したりして食べる)

 ・おててパチパチ(左手を右手に叩きつけている)

などなど。

喃語はンマンマからプワプワになった。ママからパパへの、進化?

 

 

発達や発育に問題は無いし、とびきりかわいい良い子ちゃん。

だけど、睡眠は苦手なところが相変わらずの玉に瑕。

 

8ヶ月頃の夜泣き地獄(おそらく、歯むずがり由来)に比べれば、本人比でずっと長く寝るようになった。

しかし、寝るまでは長いし、いったん寝付いてから朝までに何回起きるだろう…3~4回?日によってはもっとか?

 

泣き声の度に目を覚まし、授乳したり、抱っこしたり、オムツを替えたり、音楽を流してみたり、おしゃぶりをくわえさせてみたり、お気に入りの枕を抱えさせてあげたり、と色々する。

その繰り返しで夜をしのぎ、どうにかこうにか朝を迎えている…という具合。

 

夜泣き全てに反応してはいけない、寝ぼけているだけのことも多いから…とは言うが、隣で寝ているので都度目は覚める。

積極的に何かをしてあげることはなくても、何かしたほうがいいかと頭は回転するし、身体は待機状態になる。

 

出産してからこのかた300日近く、多めに見積もっても連続で5時間以上は寝ていないと考えるとなかなかにヤバイ。

妊娠後期は夜全然眠れなかったし、1年近くずっと睡眠のリズムが本来の自分のものじゃない。

産後すぐよりは今の方が慣れて、短時間睡眠そのものはそんなに苦にならなくなってるってことの方が、なんかこわい。浅い眠りしかできなくなってるけど、これ、元の身体に戻れるのかな。

 

 

9ヶ月の我が子は今、1日に3度寝る。

 

まず朝寝。朝起きる時間にもよるが、大体10時台、遅いと11時過ぎ。日によってばらつきがあり、15分~1時間15分くらいで起きる。

そして昼寝。13時半~14時半の間に入眠し、15時~16時前後に起きる。1時間半寝てくれたらすごく助かる。

夕寝はもう卒業した。これはありがたい。おかげでお風呂で眠そうだけど。

夜の寝かしつけは、親たちは19時過ぎからねんねモードに突入、しかし本人はどこ吹く風。なんだかんだで20時台、21時過ぎにもつれこむこともある。

いったん寝ても30分、1時間の壁を越えて、1度目の授乳(11時~1時頃)まで寝続けることはめったにない。

 

9ヶ月間この子の親をやっているので、こちらもある程度は寝かしつける手順を確立させてはいるけれど、それでも手ごわくて手ごわくて。

ここにきて、ついには、抱っこでしか寝なくなった。眠いのに寝ることをこわがっていた新生児とは違い、体力がついたがゆえの寝付きの悪さ。

 

子育て用語で言うところの、いわゆる「ネントレ完了」。なにそれ縁遠い、な、マイペースさでやっております。

寝る習慣をうまくまだ作ってあげられていない(「睡眠は、親が練習させてあげるもの」とのこと)自業自得かもしれないが、体力精神力ともに、なかなかしんどい。

 

 

基本は、お布団で横になって自力で寝てくれるよう、なんとかしたいと思っている。

ちゃんと「眠そうなサインを見逃さず寝室へ誘って、刺激を減らし、入眠パターンも作ってあげて」いるつもりだ。

だけど、なぜか、どこか、うまくいかないんだよな。

 

さっきまであくびをしていたはずなのに、お布団に置くと覚醒。

お布団を抜け出してたっちやハイハイをしないよう、力強すぎる寝返りを押さえつける。が、ものともせずスルリと抜ける。

それならば、としばらく絵本などを読み聞かせることもあるが、満足するまでお付き合いすると、長時間コースを覚悟しなくてはならない。一度遊び始めると興奮してしまう。

あやされて楽しそうに笑う声は、それはもう可愛らしいことこの上ないのだが、そろそろ眠いはずという時刻を過ぎてもはしゃいでいる姿を見ると「自然な寝かしつけに失敗してしまっている」との気持ちで不安になる。

 

お風呂上がりのあったかさと満腹を利用して、そのまま抱っこで寝かしつけしてしまうこともある。

これを我が家では強制睡眠と呼んでいるが、むしろ魘夢になりたい。おねむり~!で寝かせられたら最高にラクじゃないか。(子が炭治郎の場合は詰むが)

 

 

ヒーリングミュージックやオルゴール、効くと感じたものは繰り返し活用し続ける。わたしのApple Music「今年聴いた楽曲プレイリスト」は29位まで寝かしつけ用の曲となっている。おすすめも自然とそれ系で埋まる。

寝室は日光が差し込まないよう遮光カーテンを重ね、隙間をふさぎ、ちょっと狂気を感じる仕様になっている。

 

何百回と聴いた旋律に包まれ、暗闇で抱っこしてゆらゆら。

子どもが反応しないようゆりかご役に徹するうちに、左右も、天地も、そして昼も夜もよく分からなくなってくる。

 

あれ、ついさっきもこうしてなかったっけ。昼もこうしてたよね。ていうか、今は何寝だっけ。寝かしつけたのほんの数時間前なのに、またここからやり直しか。一体、1日に何回こうやって過ごしてるんだ。考えはよくない方に沈んでいく。

 

両手はふさがり何も見えない。好きな音楽も聞けない、有意義な何かは何もない。

ただ、子どもを寝かせるというだけの時間。

 

子育てって、これの積み重ねか。

これが、子育てなのか。

 

 

ある日、唐突に悲しくなって、つらい、と訴えた。

 

「毎日何度も同じことしてるよ。今日一日こればっかりだよ。なにもないよ」

 

夫は、わたしを慰める。

 

「なにもないことないよ。今日は買い物に行って、子どもにかわいい服買ってあげたんでしょ」

 

前向きな声掛けはありがたいけれど、苦しい気持ちはため息とともに止まらない。

 

「それも、子どものことだもん。大人と子どものごはんのこと3食考えて、準備と片付けで1時間以上かかって、子どもの寝かしつけ朝寝昼寝夜寝夜泣き何度も何度も繰り返して、他の時間は子どもの身につけるものや買うもののこととか調べて、子どものためのテレビかけて。自分のことなんにもしてないよ。インプットもアウトプットもなんにもない。新しい何かを取り入れることもできてないし、何かを書き残したわけでもない。なにもない一日だ、毎日だ」

 

重ねて、夫は励ます。

 

「そんなこと言わないで。そんな風に今日のことを否定したら、あなたと子どもにとってかわいそう」

 

たぶんその真意は、二人は一緒にいるだけで満たされていて、なにもないだなんて低く見なくていいよ、という優しさの言葉だと思う。

だけど、わたしはそう受け取れなかった。思ったことすら言えないのかと。その日唯一の、まともな会話を交わした大人に言葉を封じられて、さらにしんどくなった。

 

ていうか、あなたが、聞きたくないだけではないのか。

無為なわたしを、救えない自分を、見たくないだけではないのか。

 

この「何もなさ」はあなたには分からない。

昼も夜もなく、ずっと、空っぽなまま日々が過ぎていくこの感じは。

 

充分幸せで、恵まれていて、のちのちこの日々を後悔することはないだろうという程度には新鮮で刺激的で豊かな。愛する我が子と過ごすHappy life。

でも、一方で常にどこか苦しくしんどい、まっくらな毎日を。

 

今日、何してたんだっけってなるんだよ。思い出せるほどの何かがない。

細切れ睡眠でリセットされなくて、昨日と今日と明日がつながって、栞になる出来事もない。

それって、人生を振り返って、あの頃何もしていないってなりそうで、こわいんだ。

 

違う境遇の誰かに八つ当たりしたり、必要以上に自分を苛んだりしたくはないんだ。

きっと、睡眠不足がそうさせている面もあると思うから。

 

お願い、ねむれよいこよ。目を覚まさずに、朝までどうか。

いつか叶いますように。こんなささやかな願いが、切実です。

 

 

調べて知った『モーツァルトの子守歌』の歌詞。

最後「ねむれや」なんだよ。なんか、強い。ちょっと笑った。

 

あ、昼寝から起きた。泣き声が聞こえる、呼んでる。

今回の記録は1時間20分。ママ、今行くからね。

 

ねんねんころり、おころりよ。坊やはよいこだ、ねんねしな。