手をつないで、踊り明かそう

ポルカダイアリー

生後300日、あたたかな秋

晴れ。午前中は、子どもを連れて芝生公園に行った。

9月に地面デビューさせて以降、レジャーシートを敷いて子どもを自由にさせるのが定番の遊び方になっている。

 

ハイハイしたり、芝生や落ち葉をつかんで遊んだり(時に、食べる。のを適度に止める)する子どもを見守りながら、日を浴びて、風を感じ、のんびりするのは実に気持ち良い。

家の中と同じことをしているはずなのに、青空の下だとどうしてだろう。豊かに時間を過ごしていると思えるのだ。

赤ちゃんにとっていい過ごし方をしているという、罪悪感の少なさが鍵かもしれない。

 

レジャーシートは、最近新しく買った、大人が4人は座れる大きなものだ。

一人では広げるのも畳むのも持ち運ぶのも大変だが、大変良い買い物をしたと満足している。

強いて言うなら柄が派手だが、地方都市の人けのない平日の公園で、広い空間や木々のそばで広げる分には人目も気にならない。

 

そういうわけで風が冷たすぎる日を除いて、太陽さえ出ていればレジャーシートをベビーカーに乗せて、せっせと公園に足を運んでいる。

貪欲に日光浴する自分たちは、まるで地球の北の方に暮らす人々のようで、なんだかおもしろい。

 

今のうち、今のうち。寒くならないうち、地面に目線が近いうち、走りださないうち。

レジャーシートのその周りが彼の全てであるうちに、わたしも少しゆったりさせてもらおう。

 

ずいぶん前に夏が行ってしまったのは理解している。が、冬よ。まだ来てほしくない。

空気はひんやりして、それでいて陽の光はあたたかく、屋外が気持ちよい季節だ。できる限りこの時期を維持してほしい。

今年の秋は楽しい。芝生におしりを据えて座り、両手をパチパチと叩き鳴らす我が子も、そう感じてくれていたら嬉しい。

 

 

子どもは生後300日を迎えた。

1日1日、1時間1時間、なんなら10分を、一瞬を、なんとかどうにかこなして乗り越えてやってきた。

夜になると、明日もまた同じような日を繰り返すのかと気持ちが落ち込むこともあるが、振り返ってみると同じ一日などまったく無いのである。

さっきまで楽しそうに遊んでいたものに急に飽きる。その一方で、昨日まで影も形もなかった仕草が突然出来るようになる。その刹那さ。はかなさ。尊さ。

 

段差に手をかけていたと思えば、お尻を上げるようになり、そのうちつかまり立ちをするようになった。

掴まる物のないただの壁に手を突っ張って立つようになったと思えば、片手を離して横のわたしにニコニコと笑いかけてくるようになった。

そして、ついには両手を離すようになった。ばんざいしながら尻もちをついていたが、今では日に何度か10秒間ほど、すっと立ったままでいることに成功している。

きっと、平らな床から自分の力だけで立ち上がる日も、そう遠くはないのだろう。

 

 

子の成長はグラデーションだ。

初めて立ったのは、何日何時何分何秒地球が何回回った時、と言ってあげられない。

これは…立っている?偶然?立つってなに?

判別のつかないまま数日が経ち、後から思えば変革はあの日頃だろうかとさかのぼって認定するばかりである。

 

生後300日の記念フォトを撮るにあたり、生後200日頃の写真を見返してみたら驚いた。

なんともまあ、お顔がまんまるで、縦に短く、ぷくぷくはちきれそうで、とてつもなくずっしりしているのである。

今日現在の子どもがどんなに背が伸びほっそりとして、顔つきもスマートになっていたか(親バカ)、まるで気付いていなかった。

毎日見ていると、毎日見ているからこそ、我が子のことを知らないんだな、と思った。

 

最近、外出先でまだ新生児、あるいは新生児から抜け出たばかりのような赤ちゃんを見て、我が子とまるで違っていることに衝撃を受けた。

わたしのかわいいかわいい赤ちゃん。だけどこの子はあっというまに、赤ちゃんじゃなくなってきているんだな。

寂しくて認めていなかったけれど、比べてみると明らかに大きさも、表情も、何もかもが違う。

周囲を見回し、興味関心のあるものを見つけて、自分でそこに移動していける力がある。

彼は立派に、一人の人間として世界に関わっている。

その力をつけるまでの300日を、わたしは母として知っている。

ひとつひとつ積み重ねてきた日々を、折に触れ、改めて心に刻み直そうと思った。

 

 

季節も、子も、移ろいゆく。

決してとどまらない。決して戻らない。

不可逆の時を生きていることをこんなにも実感した秋は、30数年生きてきて初めてじゃなかろうか。

日の長かった夏は懐かしく、目もろくに開かなかった新生児のあの頃は愛おしい。

しかし、それでも過去に戻りたい気持ちは全く無い。あの頃の我が子に戻ってほしい気持ちも、1mmとして無い。

後悔しがちなわたしが、今を全て肯定できるのはこの子のおかげだ。

稀有でかけがえのない時を過ごしながら、母として恵まれた幸せに感謝している。

 

ありがとう、おめでとう。

これからも、どこまでも、健やかにね。大好きだよ。