力いっぱい抵抗されるので抱きかかえ続けることはできない。かといって大人しくそばで待つこともできない。降ろしたら何処までも行く。追いかける。手続きができない。話ができない。
そんな子なら連れてこないでというのが世間一般の正論だろうか。
子どもを連れて何処にも行けない。
一歳半健診で「落ち着きの無さ」を指摘され要経過観察となった。
検査項目をクリアできるはずもないのは予め分かっていたことだから、でしょうね、と冷静に受け止めていたつもりだけど日に日に落ち込んでいる。
困りごととして発達相談を予約しに行った窓口でこれだ。
わずかな段差のキッズスペース。当然乗り越えて出てくる。歩いていく。興味あるものには触る。
それぐらいなら、と、考えてしまうのは麻痺してるんだろうか。
これだから子育て世代は常識がない、と疎まれているんだろうか。
できることならじっとさせたいに決まってる。
できることなら黙らせていたいに決まってる。
でも、できないんだよ。
誰かが家で見ていてくれるならそうしたいのはこっちの方だよ。
この歳ならできて当たり前?
できるようになるまで街に出てくるな?
世界は「普通にできる」人のために作られてる?
市役所も図書館も病院もスーパーも無理。
いろんな人が居るところこそ居ていい場所と思いたいけどむしろ来ちゃ駄目。
山に閉じこもりたい。
東京ドームに住みたい。
睨まれずに暮らしたい。
検査担当の保健師さんに「この様子で買い物とかどうしてんの?」と訊かれた。
連れて歩くのは無理なので「恥ずかしながら抱っこひもです」と答えた。
「カートは?」「乗せようと頑張ってるんですけど嫌がって泣くので急ぐ時は仕方なく抱っこひもの時も」「この歳なのにカート全く使ってないってこと」「だから、入口で挑戦はしてるんですけど」「挑戦、ね」と嘲笑われた。
わたしがおかしくて、わたしがだめで、全部がだめなんだと、思う。
いつも行く支援センターで、あちこちへ行き来する我が子を汗だくで追いかけ回すわたしのこと、みんなどういう目で見てるんだろう。
かわいそうに、だったらまだいい。
ちゃんとさせてないだらしない親だと思われてるんじゃないか。
子の個性も子の成長ペースも何一つ恥じてないのに、わたしは今わたしが恥ずかしい。
肩身狭そうに、申し訳無さそうに、生きてないといけないんだなと思う。
わたしの態度を防波堤にして、何処でも子を伸び伸びさせてあげたい。
その思考が既に反社会的なのだろうか。
子どもは子どもの場所へ、更に「落ち着きの無い子」は「落ち着きの無い子」の場所へ。
棲み分けていくしかきっとゆるされない。
子どもだからを免罪符にしてはいけない。
してはいけないけれど、だって実際、子どもなんだよ。
言うことをきかせられない親だと批判されたとして開き直ったらきっと更に非難される。
じゃあ、子ども連れて役所行くのなんてどうすればいいの。そんなのわたしが一番知りたいよ。
乗り越えてほしくないところにちゃんと柵をしてよ。触っちゃいけないものなら出しておかないでよ。連れてこないでほしいなら託児を用意してよ。そうやって設備を整えることを要求する気持ちを抱くのすら図々しい?
これだから子連れ様は、と見えない誰かの声が聞こえる。
受付の人に「1歳半、一番歩きたい盛りだね」と笑ってもらえた。この子を受け入れてもらえたと安堵しかけたが「紐でも付けておきたいくらいよね」と言われた。
それ、親が言うならともかくさ。ずしんときた。