要は「もっとアタシを分かってほしい」という欲が肥大しているんだと一晩経って思う。
友人たちとのおしゃべりのテンポについていけず、その場でうまく言えなかった言葉が後から後からこぼれてきてしんどい。
自分を深く理解してもらうために、あのエピソードやこんな言葉選びをすればよかったと後悔ばかりが募る朝。
何処に居ても、誰と話しても、何か違う気がして休まらないことが続いている。
楽しかった気持ちで100%になれず、一点の曇りを後生大事に磨いてしまう、そんな自分にほとほと疲れた。
悲観を振り切るように、今日は普段とは違う遊び場へ子どもを連れていった。
もはや初夏のようなあたたかさ。
危険が少なく遊び道具が多いその場所を、我が子はすぐに気に入ったようだった。
安心しているところに現れたのが、初めて出会った別の親子。
少し話しただけで、あ、好き、となった。
すごく感じがよくて、とても話しやすい。
笑顔も素敵で、目を合わせてもこわくない。
こちらに興味をもって、好意を示してくれる。
子どものこと、かわいいって褒めてくれた。
「また遊びましょう」って言ってくれたのはたぶん社交辞令じゃないと思う。仲良くなれる気がした。今後に希望の絵が描けた。
少しささくれだっていた心が、浮足立つような新たな出会いだった。
昨日は都会で肩身が狭い思いをして、自分の居場所をはき違えてしまったと感じた。
住まう場所の穏やかさ。やっぱりここなんだと思った。
目には目を歯には歯を。人に傷ついた心には他の人の言葉を。
誰か一人、何処か一つに完璧を求めず、広い世界から救いを掬い取って生きたい。
つまりはバランスなんだ。懐かしの思い出話をできる学友たちも、子どもの話をできる地元のママ友も、大切にしていこう。
誰かと誰かに左右の手を引いてもらって立つ自分。
揺れ動くやじろべえは、今日も希望をもって生きる。