手をつないで、踊り明かそう

ポルカダイアリー

夏の日差しに閉じ込められている

なんか、今日はだめだ。朝からべそべそしてる。

 

 

ここのところ、子の夜泣きがひどい。

生後7ヶ月を迎え、うつ伏せから様々な姿勢をとれるようになった。ほぼひとりでのお座りや、角度の浅いつかまり立ちのようなものもするようになり、日に日にその小さな身体でできることは増えている。

その分、刺激も多く眠りも浅いのだろう。今までと同じ寝かしつけでは通用しなくなった。大体2時間未満、頻繁な時間帯には数十分で泣いて目覚める。

小さな前歯が生えてきていてむずがゆいのも一因かもしれない。悩みの種を取り除こうにもどうにもできず、ただただ抱いて、なだめるしかない。

当然、親のわたしも眠れない。少しまとまって寝られたと思っても4時間ほどだ。日中もなんとなく元気が出ない。ぼーっとして、すぐ涙が出る。

 

 

育児は順調だ。離乳食も3ヶ月目になり、モーニングルーティンは完全に確立した。

家事と合わせてしなければいけないことを粛々と進める。今朝も予定通り進んだ。

なのに何故か、朝寝から覚めた子どもの機嫌がよくない。

 

なんで?

何がだめなの?

 

問うてしまう。答えなど返ってこないのに。

 

なんでなの?

どうしてほしいの?

 

責めてしまう。答えなどあるはずもないのに。

 

分かってる。超分かってる。なのに涙が止まらない。

こんなに空は晴れているのに、わたしは泣いているの何故なんだよ。

 

 

何処かに行きたい。

ベビーカーに乗っている間はご機嫌だ。なんなら、歩いているうちに眠ってくれる。

眠くてぐずることも泣き叫ぶこともなく、力強い寝返りを押さえつける徒労もなく、こんなに穏やかで、心も身体もラクな時間の過ごし方ったらない。

 

だけど外は炎天下。うろつくなんて危険な暑さだ。

寝入るまで歩いていたりしたら、大人はともかく赤ちゃんはすぐ顔が真っ赤になってしまう。

 

どこまでも歩けるアーケード街があればいいのにと思う。

いっそ街が丸ごとドーム状の屋根に覆われていたらいいのにと空想する。

だけど想像むなしく、180cm×200cmのベビーサークルに親子ともども引きこもっている。

 

窓の外に見える青空が眩しい。

だからこそ凶悪な、その夏の日差しに閉じ込められている。

 

 

ここまで落ち込んでいる理由は、子どもを連れて外出することにチャレンジしていた時期の反動でもある。

6月は子連れOKの整体で骨盤矯正に通った。あちこちお買い物にも行ったし、お友達の家にも行った。児童館のイベントにも参加した。

積極的なお出かけで疲れもしたけど、活気ある毎日だった。子どもと日々と生きているって感じがあった。

 

一転して、先が見えなくなってしまった。

前々から、子どもに会いに来たいと言ってくれている友人の来訪計画を先延ばしにさせてもらった。電車を何本も乗り継いでの距離になるので、この時期、負担をかけるのが忍びないからだ。

同じく、旧知の友人夫妻が近くまで帰省するからお互い赤ちゃん連れで会おうと言ってくれていたが、話し合って今回は見送った。どちらかが断ったというより、どちらも同じことを考えての結果だ。

新型コロナウイルスの蔓延具合、そして小児科含め医療体制が逼迫する現状において、親たちは子どもたちに何かあったらと恐怖でいっぱいだ。

どちらもすごく楽しみにしていた予定だった。だけど今は、今じゃないと判断した。

 

自粛は、それ自体はしたくてしていることだ。

感染リスクをできるだけ減らす生活をしないと、自分がこわいから。

妊婦期間から続くこの生活にはもう慣れっこだ。人に会うことだけが生きがいじゃない。家でだって美味しいものは食べられる。幸せは全部ここにある。我が子の笑顔から離れて生きていくなんてことも望まない。

 

だけど、自分が選択している行動とはいえ、やっぱり時々心がめげそうになる。

誰にも会えない。何処にも行けない。

可愛い赤ちゃんを見てもらうこともできないし、出産祝いに駆け付けることもできない。

ちょっとお喋りしにお出かけすることも気が引ける。正直言って、誰かを家に上げたくもない。

加えて、乳児と毎日過ごすとなると自宅はあまりにも穏やかだ。大人一人だったらなんてことない時間を、機嫌よく過ごしてもらうための、途方もない労力。

家にいられるって有難いことなのに、沈む心に負ける日がある。

 

 

また、自粛したくてしている一方でわたしは、世間の「まだ、自粛してるの?」という空気がしんどい。

たくさん出掛けている人がいることは知ってる。そんな人たちも、その行動も、咎めるつもりはない。人それぞれだ。

だけど、誰かに気にしすぎと思われている、ように思う。そのことが気を重くする。

 

世の中にはいろんな人がいる。

マスクをしないまま子に顔を近付ける人、許可を得ず赤ちゃんの素肌に触る人。

その瞬間から、相手がどれだけ「いい人」でも警戒心が先立ってしまう。

申し訳ないながらも恐怖におびえながら、すぐさま大切なお顔を、柔らかな腕を、すべすべの脚を拭いていること、想像を巡らせてはもらえないのだろうか。

帰宅後すぐにシャワーを浴びさせ着替えさせ、赤子の触れる全てを清潔にしないと落ち着けない親の心を慮ったことはないのだろうか。

 

買い物にだって、子どもの集まる場所にだって本当は出かけたい。

だけど、お出かけの度に神経をすり減らすくらいなら、家に閉じこもっていたほうがましだ。いつもそう考えて二の足を踏む。

そうして、1日が終わる。安全で、後ろ向きな、だけど他人からしてみれば「優雅なおうち時間」が。

 

神経質、気にしすぎ、大げさな。自分でもちゃんとそう思う。「ピリピリしている母親」だなんて、誰がなりたくてなるもんか。

だけど我が子が苦しむ姿を一度でも想像してしまったら、気にしないではいられない。

守れる笑顔があるなら守りたい。それが、今のわたし。

 

 

今朝は、気分を上げるために流している音楽がやけに沁みる。経験上、耳が言葉を拾うのは、たいてい疲れている時だ。

なんとかだましだましの午前中が終わろうとしている。

さて、この夏はこの部屋で、どれだけの涙を流すのだろうか。

 

暑い、あまりにも暑い夏は始まったばかりだ。