手をつないで、踊り明かそう

ポルカダイアリー

子どもは何故高いところに登るのか

光陰矢の如し。

子は日々成長していく。親はいつも後追いである。

 

立つ。歩く。つま先立ちする。登る。(←今ここ)

家の中は危険だらけだ。

生まれる前に見直した家具の配置は常に場当たり的な変更に晒され続け、今ではチェストが全部壁向きになった。引き出しを引き出しまくる妖怪が出没するからだ。

小物は上に奥にと避難を続け、数少ない安全地帯からは電池も文房具も溢れんばかりだ。

手が届くようになったドアノブの向きは変えたし、お風呂とトイレの鍵を外から閉めるようになった。(硬貨をぶらさげて、鍵を外から回している。)

 

こんなに身体が大きくなったのか。こんなこともできるようになったのか。

驚きと、慄きと。

 

やらないでほしいことのほうが、やってる時お目目がきらきらしてる気がするんだけど、ママの気のせい?

その笑顔を守るためにも、まずは安全第一。いたずらは第二。

さあ、今日はどんなびっくりを見せてくれるかな?

目には目を、人には人を

要は「もっとアタシを分かってほしい」という欲が肥大しているんだと一晩経って思う。

友人たちとのおしゃべりのテンポについていけず、その場でうまく言えなかった言葉が後から後からこぼれてきてしんどい。

自分を深く理解してもらうために、あのエピソードやこんな言葉選びをすればよかったと後悔ばかりが募る朝。

 

何処に居ても、誰と話しても、何か違う気がして休まらないことが続いている。

楽しかった気持ちで100%になれず、一点の曇りを後生大事に磨いてしまう、そんな自分にほとほと疲れた。

悲観を振り切るように、今日は普段とは違う遊び場へ子どもを連れていった。

 

もはや初夏のようなあたたかさ。

危険が少なく遊び道具が多いその場所を、我が子はすぐに気に入ったようだった。

安心しているところに現れたのが、初めて出会った別の親子。

少し話しただけで、あ、好き、となった。

 

すごく感じがよくて、とても話しやすい。

笑顔も素敵で、目を合わせてもこわくない。

こちらに興味をもって、好意を示してくれる。

子どものこと、かわいいって褒めてくれた。

「また遊びましょう」って言ってくれたのはたぶん社交辞令じゃないと思う。仲良くなれる気がした。今後に希望の絵が描けた。

 

少しささくれだっていた心が、浮足立つような新たな出会いだった。

昨日は都会で肩身が狭い思いをして、自分の居場所をはき違えてしまったと感じた。

住まう場所の穏やかさ。やっぱりここなんだと思った。

 

目には目を歯には歯を。人に傷ついた心には他の人の言葉を。

誰か一人、何処か一つに完璧を求めず、広い世界から救いを掬い取って生きたい。

つまりはバランスなんだ。懐かしの思い出話をできる学友たちも、子どもの話をできる地元のママ友も、大切にしていこう。

誰かと誰かに左右の手を引いてもらって立つ自分。

揺れ動くやじろべえは、今日も希望をもって生きる。

 

 

井の中の蛙マスクを外さず

念願叶って集まれた友達グループがある。

「飲酒が解禁になったのでオンラインで飲み会をしませんか」と誘ったところ、メンバーの一人が折しも遠方から帰省してきているというのでリアルで会うことになったのだ。

 

自分が出かけるからといって子の1日が変えられるわけじゃない。

留守番をしてくれる夫とは前日までにスケジュールの打ち合わせをし、あらかじめ昼食やおやつのセッティングをした。当日は仕事を早めに切り上げてくれた夫とバトンタッチして、間に合うようなんとか家を飛び出した。この時点ですっぴんである。

昨夜は夜泣きがきつかったため、着くまでに自分の眠気に任せて少し眠れて嬉しかった。

 

集まりはすごく楽しかった。友達同士で会って食べて飲んで、最高だった。

だけど、自分としては「頑張って行った」感を抱えてしまったのがよくなかったのかもしれない。独身、あるいはパパの友達とは、その感覚を根本のところで分かり合えていないように感じてしまった。

これは完璧に自分が不注意であった案件だが、財布に多めに現金を用意しておくのを忘れてしまった。割り勘の際に自分がクレジットカードで決済することで対応してもらったのだが、「現金を持ち歩かない主義なんだね」という風に言われた。

というか。現金を手に入れるのが困難なんだよ。「ATMに行く」というその行動一つを日常に加えることがどれほど大変か、という。だから銀行に滅多に行けてない。お金を使うのはいつものスーパーとドラッグストアがせいぜいで、提携クレジットカードとd払いで決済できるところ以外に店に行かないんだ。自分の行動範囲って狭いんだなって今自覚したよと笑ったが、あまりピンと来てもらえなかった。

映画館で観た映画の話の時に、これは友人たちと語り合いたいと挙げたタイトルは「かなり前だね、3年前じゃん」と一蹴されてしまった。この街に来るのも産前に集まったきりだと言うと、そんなに前かと驚かれた。知らない間にみんな新しい習い事を始めていた。自分だけ季節に合った格好をしていなかった。

 

もっと労ってほしかったのかもしれない。今日は頑張って来てくれてありがとう、とでも言ってもらえると無意識に期待していたのかもしれない。

「子どもと居ると毎日こんなに大変だよ」と言葉を尽くしてみたところで、未体験の壁の向こうに届いた手応えは得られなくて、むなしかった。

それどころか周りから浮いてて、自分だけ置いて行かれてて。

妊娠出産育児で人生が停滞しているうちに、当たり前なんだけど他の人たちは滑らかに時に乗っていたらしい。

「ママ」を始めてからの時が断絶しているみたい、と思った。

流行遅れの季節外れ。自分がとてつもなく惨めになった。

 

 

そんな気持ちを抱えていた食事中、もう一つ自分が世界と隔絶していると感じた出来事があった。

 

ふと、隣のテーブルに目を留めるとマダムたちが快活に、マスクをせずにお喋りをしていた。

そのまま見遣ると、そのまた向こうのテーブルの人も、マスクをしていなかった。

あれ、もしかして…と店内を見回すと、マスクをしているお客さんは一人もいなかったのだった。

おそるおそる確認したところ、いつのまにか友人たちも、マスクをしていなかった。

店員さんとわたしだけが”未だ”マスクをしている、と気付いた時の、緊張。

酔いがすっと覚めて、この街で異質な存在になっている今の自分をしかと感じた。

 

「あれ、いつのまにわたしだけマスクじゃーん!」と笑って言うことはできなかった。

だって、その台詞を言ったらマスクをしていることが自覚的になる。それでも外さないなら、主義になる。

でも、友人たちの前では「うっかりマスクを外しそびれている人」のままで居たかったのだ。

「マスク外さない主義の人」だとも、「時代遅れの頑固者」だとも思われたくなかったんだろうと、後から振り返ってそう思う。

 

それでもわたしは、今はまだマスクを外す心の準備はできていない。

 

自分の暮らす田舎町では、特に子ども関連の場所しか行かないこの生活では、マスク着用緩和の報は自分たちになんの関係もない号令だった。

だけどこんなにも、そうか、別世界とは。

というか、わたしが居る場所が、井の中だったんだ。

 

自分を貫こうと、覚悟をもって決め抜いたわけでもないのに「変な人」になってしまった自分を友人たちはどう見ただろうか。

わたしは変わってしまったのか。というか変わる周囲についていけていないことで、相対的に変人になってしまった。

子を産んだから?警戒しすぎているから?まわりに合わせる感覚を失ってしまっているから?社会から外れた蛙だから?

 

すごく淋しくなって飛んで帰った。

わたしの居場所はもう、子と夫のそばにしか、ない。そう悲観した春の飲み会。

 

 

キミにはくしゅ!

「おかあさんといっしょ うたのリクエスト 春スペシャル」。

この歌知ってる、と気付いた曲は『まほうのラララ』だった。

2022年2月の今月の歌だったそれは実家で観たんだった。

1ヶ月検診を終えた後に里帰りをしていた、冬だった。

 

生後1ヶ月の子と昼夜無く暮らす生活は、産褥期の身体を痛めつけるだけでなく次第に心をも蝕んで、子を抱えて泣くことも多い、暗い日々だった。

そんな時に母がつけたEテレで『まほうのラララ』を歌っていた。

あの頃はまだ18時台じゃなかったんだよね。本格的にEテレを見始める前だったから、時間変更も自分に関係がなかったなぁ。

まもなく卒業するというあつこおねえさんと自分は一瞬すれ違っただけの存在となったが、あの時、自分が育ったあの居間で、子どもに向けた新しい歌を聞いたな、という記憶は残ったのだった。

 

そして今年2月の『キミにはくしゅ!』。

ゆういちろうおにいさんかと思いきやまことおにいさんの卒業ソングだったこの歌は、聞けば聞くほどに良い曲で、ゆういちろうおにいさんからの「贈る曲」であると見方が定まったことでますます沁みるようになった。

そしてなにより、この歌がテレビで流れると、我が子が拍手をするのだ。

パチパチパチパチ。1番サビが始まると、力強く手のひらを叩く息子。

歌詞の内容が分かるんだ。促される拍手を一緒にやれるんだ。おにいさんおねえさんたちの真似をできるんだ。

かわいいのも勿論だけど、その発達が確かなことが母の胸を打つ。

 

「リクエスト春スペシャル」ではその2曲が続けて流れたのだった。

『まほうのラララ』で新生児の風景がよみがえり、そして現在の『キミにはくしゅ!』が次に来たことで、育児の始まりからの1年が自分の連続したストーリーのように感じられ、ぐっと来るものがあった。

今の我が子は、ただ寝っ転がって、首を画面に向けただけで「テレビを観てる!」と大はしゃぎした生後1ヶ月とはまるで別人のよう。

いつのまに、ここまで大きくなったんだね、と、涙がにじんだ。

 

1年。何も為せていないわけじゃない。この子が1日1日育った結果が、わたしが1日1日育てた結果が、今日のこの日なんだ。

楽しそうに響く拍手の音は、母にとって、子どもの成長という何にも代えられないプレゼントだった。

 

うまれてきたことに はくしゅ

「ありがとう」をこめて はくしゅ

 

 

www.nhk.jp

 

 

おにぎりの再発明

母とは、子の腹を満たすために奔走する生き物である。という感覚で日々いっぱいだ。

 

 

離乳食初期は新食材を2,3日おきに試して、食べる種類を増やすことを命題にしていた。

離乳食中期には食べられる量が増え、離乳食後期になるとつかみ食べが盛んになり、食べさせるものの形状がかなり変わった。

そして今、離乳食完了期を迎え、大人顔負けの3回食に加えて補完食としての間食もめいっぱい食べている。それでも空腹で夜中泣きわめくのだ。

 

かつてお風呂上がりの恒例だったミルクは、寝る少し前の時間まで引き延ばすことに成功した。しかし歯の影響は気になるし、卒ミルク卒哺乳瓶を意識してストローマグの麦茶だけでなんとかしたくてもなんともならない。

徐々にフォローアップミルクの量を減らしていたが、空腹で夜泣きが激しくなってしまった。そして夜中にフォロミを飲むと泣き叫ぶのが止まることをある日発見する。

対策が見つかりありがたいが、また要求に負けて与えてしまったという自己嫌悪と検索地獄で寝られなくなることもしばしば。

やっぱり寝る前のミルクを復活させて…でも歯磨きがうまくいかない…哺乳瓶も卒業しなきゃ…でもコップ飲みは上達しない…。いつも同じ悩みをぐるぐるしている。

 

そんなわけで、離乳食もステップアップを意識している。

食べる量だけでなく、腹持ちを考えた内容に。夕食を食べる時間もできるだけ遅く。そろそろ油ものも取り入れていいのかもしれない。

初期には10倍がゆだった白米は、次第に7倍5倍軟飯とすすみ、今では大人と同じ普通に炊飯したご飯になった。つかみ食べしやすいよう、おにぎりボールにしたところ息子に大ヒットし、何をおいても平らげる一番の好物となっている。

野菜類もみじん切りではなくしっかり噛める形にしているし、食事全体の水分量がかなり減ったように思う。常に試行錯誤しながらだが、離乳食を終えて幼児食に移行する段階としてはだんだんとさまになってきた。

 

 

しかし。まだ空腹で泣く。

フォロミを飲まずにねんねできたね、とほっとしていると夜泣き。なだめて寝かしてもまたすぐに起きて泣く。しかも大粒の涙を流して。

涙には、よわい。

泣く子には勝てないのである。

甘やかしている…と落ち込みながらも、少しだけ薄めのフォロミでお腹をあっためて、ねんねさせてしまう。あー負のループだ。

 

夕飯を充分に食べてもらっている、という確信があった。だってげっぷまでしてるし。

しかし、今日、いつも9個のおにぎりボールをなんと12個食べたのだ。えっまだ食べられたの?

最初に3個、おかずの進み具合とおにぎりリクエスト(もっとくれという圧)に応じて追加で6個、普段ならこれでお皿の上のものを食べ切ったらおしまい。その頃になったら「もういい!」という態度になるので。

しかし、「ひょっとして…」と感じて、おかずが終わりかけた頃にそっとおにぎりを差し入れてみた。食べる。えーっ!

あともう1個。食べる。うそーっ!

まさかね…最後に1個。食べた。なんと!

仕上げのヨーグルトまで食べた。今日はよく運動してお腹がすいているとはいえ、あなたまだ食べられたの!!

つくづく、人の腹の中など読めないものだと思った。

 

これまでおかずも食べ切って「もういらない」だったけど、もしや「おにぎりならまだ食べられるわ」だったの、かしら…。

今日のたまたまかもしれないけど、やっぱりまだお腹を満たせてなかったんだという気付き。

 

そうか、ご飯はいくらでも食べるのね。食べられるなら、食べようね。

おかずとのバランスは悪くなるかもしれないけど、いざとなったらご飯に混ぜ込んだり、中に具を入れたり、工夫してなんとかするからね。

お母ちゃん、あなたがお腹いっぱいで幸せでいられるよう、なんでもしてあげたい気持ちなの。

そして気付いた。具を入れて丸めて、それって普通におにぎりじゃん。今わたし、おにぎりの再発明したよ。

そうか、こういう母心から生まれたのがおにぎりなんだな。

 

 

お散歩ができたこともあり、今日はフォロミを飲まずにお風呂上がりすっと寝た。

今夜の夜泣きはどうかな?起きても抱っこまででなんとかなるといいんだけど。

あなたが朝まですやすや眠る日は、いつか訪れるのかな。今はまだ信じられない気持ちだけど、本当にそんな日は来るのかな。

 

子育てはよくいえば毎日臨機応変、言い換えると常に波乱万丈。

さぁ、怯える夜勤のスタートだ。

道の先から何が駆けてきても

陽が長くなった。時候の挨拶のようだが事実だ。近頃は夕方でもあたたかい。子と夕方の散歩に出ることにした。

うまくいけば、午後は昼食→お昼寝→おやつ→散歩、というスケジュールになる。これまでは家の中で過ごしていたが、歩くようになった息子は家の広さに不満を感じるようだ。ぐずっているから眠いのか、と思っていてもいざ靴を履かせて外に立たせてみるとふらふらせずとっとこ走りだしたりする。

親としてはちょっとそこまででいいよと考えていても、彼は家の前の駐車場だけで満足するなんてことはなくすぐ道へ踏み出していく。

 

彼には見えない境界などない。

いわゆるオープン外構で守られたよそさまのお宅にナチュラルに侵入しようとして、吸い込まれるように道を逸れていく。抱っこで軌道修正を繰り返しながら、家3軒ほどの外周を散歩するのに1時間ほどかかる。

小石は口に入れるし、溝には落ちそうになるし、車が来ても棒立ちだし、チャリンコ爆走族の小学生男子に絡まれそうになるし、水たまりに向かって歩くのが生まれた時からの僕の使命だとでも言いたげにまっすぐ向かっていくし。

1歳2ヶ月からはひとときも目が離せず、それはもう家の中に居てほしいというのが本音なのだが、引き換えにとんでもないメリットを享受してしまった。

早く寝るようになったのである。

 

いや、偶然かもしれない。でも今のところ、夕方にたっぷりお散歩した昨日今日と2日連続で、寝た。

22時頃まで寝ない、夜中に頻繁に起きる、寝ない子であるところのうちの子が寝たのである。

ミルクも飲まずに寝てしまうため今度は夜中に起きてしまうという新たな問題も生じているが、それはそれとして、散歩一つでこんなにも如実に生活習慣が変わるか…という驚きの方が勝っている。

明日は雨予報であるが、散歩に行けない日はどうなるのだろう。何かあればこうできる!という条件が増えるたび、それが無いことをおそれる気持ちが増えていく。

 

ところで、今日は散歩中に犬に遭遇した。

散歩中のつながれた犬ではない。リードを引きずった脱走犬だ。

親子3人で歩いていると、10mほど向こうの道の先から、とっても大きな犬が門を飛び出しこちらに元気に走ってくるのが見えた。しかも2頭!

咄嗟に、夫に子どもを高く抱えるよう指示を出した。あっという間に犬がやってくる。身がこわばったが、幸いにして犬は立ち止まらず、横を駆け抜けていったからよかった。

飼い主があとから追いかけていく。しっかりと手綱を持つのを見届けるまで警戒が止まらぬ、肝の冷える出来事であった。

もしも自分と子どもだけだったら。もしも犬が子どもに飛び掛かっていたら。もしも子どもを抱えた自分が押し倒されたら。もしも犬に背を向けていてすぐに気付かなかったら。もしも離れたところから見守っていて、子どものところに駆け付けるのが間に合わなかったら。

たくさんの最悪が頭をよぎり、ぞっとした。心底、何もなくて本当によかった。

後で訊くと、夫は子どもを抱きかかえながら、犬を蹴るシミュレーションをしていたらしい。なるほど、戦うという発想は自分にはなかった。

 

外は危険がいっぱいである。それでも子は、広い世界を知ってしまった。

ならば守るまでである。目を配り身を挺して、わたしは我が子の道を拓く。

あなたが行きたいところへ行けるように。何にも脅かされないように。母は守りのプロになる。

ここぞと買い込む20日

1,000字で日記を書いたのが面白かったので、昨日に引き続き今日も書く。

 

2月唯一のお客様感謝デーなので、朝からイオンに行った。

庶民はもう、20日30日に集うしかできないと感じるほどの値上げラッシュに日々追われている。

ただ、この日に向けてまとめ買いを計画するのは一つの楽しみでもあるような気もする。

 

駐車場の入り口に近いところに車を止め、子どもをベビーカートに初めて乗せてあげたら、最初は足をぶらぶらさせて喜んでいたくせにあっという間にぐずった。とにかく動いてないと駄目らしい。せわしなくうろうろしながら店内を見て回る。

ベビー用品のコーナーで、オムツやフォローアップミルクなど重いものばかりを買い込みすぎたため一度駐車場に戻る。エレベーター前でご近所さんに会ったが、ピンと来てもらえず「どちらさん?」と訊ねられた。

 

抱っこひもに切り替えて今度は食料品コーナーへ向かう。腰にずっしり来る重みだ。

ベーカリーのパンがおつとめ品詰め合わせになっていたので買う。昨日からちょうどパンが食べたかったので嬉しい。

 

一通り買いまわってカゴはあっという間にいっぱいになった。子と買い物荷物、一度に運びきれないのだから買いすぎないようにしようと思うのに、いつも溢れる。

しかし今日は理性がはたらいて、こんもりとなる前に止められた。先日導入したマイレジかごのおかげだ。

詰め方次第でなんとかなるだろうと楽観視してしまうマイバッグに比べて、店内用のレジかごと持ち帰り用のマイかごは同じ量しか入らないのが目に見えているので、抑制が効くことが分かった。

 

並んだレジは、たまたまセルフレジでもセルフお会計レジでもなく、店員さんがお会計までフルで面倒を見てくれるタイプのレジだった。

手持ち無沙汰にバーコードでスキャンされた品物を眺めていると、「よりどり2品で500円」の文字が見えた。

しまった。スティックコーヒー、よりどらずに1箱だけ買ってしまった。

保存の効く物だったのに。48円ほど損をして、大変にくやしい。

 

ところが、レジを打ち終わった合計金額が6,000円ぴったりだった。1,000円単位でキリがいい。すごい。

レジ係の人も喜んで声を掛けてくれて、ますます嬉しい。

 

これは、よりどりで損をした分を取り戻したぞ。

ご機嫌になったところでイオンカードをタッチする。お会計は変わって、5,700円になった。

本日はお客様感謝デー、全品5%引きだった。