手をつないで、踊り明かそう

ポルカダイアリー

電子レンジの代替わり

ブツン、と音を立てて電子レンジが逝った。

 

5月30日の夜のことである。

夫婦総力やっとのことで赤子を寝かしつけ、哺乳瓶を洗浄し、電子レンジにて消毒していた。

洗面所で歯磨きをしていた夫に「ブレーカー落ちたよ」と声をかける。

夫はすぐさま見てくれたが、該当する異変は見当たらないようだ。

さまざま触って確認するが、電源が入らない。あ、これは終わったな、と理解した。

 

翌日、改めて調べてみると「電子レンジのヒューズが切れた」という症状だということが分かった。

部品を探して交換するという手もあるらしいが、そもそも2008年製である。

よく保ったもんだ。もっと大ごとになる前に壊れてくれて、優秀な子だとすら思う。

ありがたく寿命を迎えた電子レンジを弔い、新しく買い替えることにした。

 

この電子レンジは、大学入学時、一人暮らしの開始と共に揃えた家電の一つだ。

2度の引っ越しを経て、この家の暮らしも長らく支えてくれた。

 

同期としては、冷蔵庫、洗濯機、テレビ、DVDレコーダー、スティッククリーナー、CDラジカセ、ノートPCなどが居る。

こうして考えてみると、このうち当時と変わらず稼働しているのはもう洗濯機だけになった。

「家具家電、2人で新しく買ったものなんて全然無くて、ほとんどはわたしが持ち込んだもので生活してるんだよわたしたち夫婦」なんてよく言っていたが、いつのまにかそうでもなくなっている。

いちどきに買ってはないが、2人になってから揃えたものが結構あることに改めて気付かされた。

一緒に住むようになって8年。それなりの月日を感じる出来事である。

 

冷蔵庫は、昨年買い替えた。

初めての子どもが産まれるに際し、一人用の小さい冷蔵庫では収納容量が足りなくなることを想定して、まだ使えはしたが容量の大きい新製品に買い替えたのだ。

この「まだ使えるけど早めに買い替える」「一人暮らし向けからファミリー向けにグレードアップ」というムーブメントに、いっぱしの家族感を感じたのを覚えている。

 

扇風機は、実家から余っているものを送ってもらって使っていたが、これまた「まだ使えているが事故が起こる前に」と処分して、新しいものを今年買った。

古い扇風機を収集先に持っていく日、何気なく裏の表示を見たらなんと94年製であったからたまげた。くっきりと刻まれた「National」の文字。松下電器の技術力は確かだったと言えよう。

 

洗濯機だけは、一人暮らしスタートから代替わりせず、まだ現役で生き残っている。

異音とまではいかないが相当音が大きいし、機能もまったくもってイマドキではないが、わりと充分だ。

しかし、よく聞く「子育て中なら高性能の洗濯乾燥機を」という言葉には大いに惹かれている。

「台所に食器洗い乾燥機があるだけで家族にゆとりが生まれる」という言葉と同じくらい魅力的だ。

今あるもので充分は充分だが、いつか買い替えの機会がきたら、迷うことなく最新の上位機種だけを視野に入れることは間違いないだろう。

「一度上げた生活の質は落とせない」とはこういうことなのだろうな。人はこうして富んでいく。

 

さて、新しい電子レンジは検討して、決定して、注文した。

やはり「前のと似たようなのの新しいの」ではなく「どうせ新しく買うなら、少しでも大きくて良いやつがいいな」との思いがあった。

しかし、機能やビジュアルにこだわる前に、外寸にかなりの縛りがあった。

古い電子レンジの寸法に合わせて買った台所棚のせいである。

暮らしのものは、ひとつひとつのかたちが密接に関わっていることを実感した。

 

そうして、新しい電子レンジは明後日やってくる。

離乳食をあたため、哺乳瓶を消毒し、育児に欠かせない生活のお供だ。